不登校の親に必要なのは、365個の正解じゃなくて、365の「見方」かもしれない
不登校になると、親は正解を探します。
休ませた方がいいのか。
声をかけるべきか。
学校とはどう話せばいいのか。
ゲームは止めた方がいいのか。
勉強はどうするのか。
このまま高校に行けなかったら、どうなるのか。
ひとつ気になることが出てくるたびに、検索する。
でも、調べれば調べるほど、分からなくなることがあります。
「しっかり休ませましょう」という人もいる。
「生活リズムを整えましょう」という人もいる。
「今は見守りましょう」という人もいる。
「待ちすぎない方がいい」という意見もある。
どれも、全部間違いとは言い切れません。
だからこそ最後に残るのが、
「で、うちの子の場合は、どうしたらいいの?」
なんです。
同じ「不登校」でも、子どもの状態はまったく違う
僕は16年以上、不登校の子どもたちと、その家族に関わってきました。
これまで関わってきた家庭は650を超えています。
その中で、本当にたくさんの
「どうしたらいいですか?」
を聞いてきました。
そして長く現場にいるうちに、だんだん思うようになりました。
親に必要なのは、
365個の正解ではなく、365の見方なのかもしれない。
同じ「学校に行けない」という状態でも、その中身は全然違います。
朝になると身体が動かなくなる子。
学校の話をした途端、黙ってしまう子。
ゲームなら何時間でもできる子。
自分の部屋からほとんど出てこない子。
学校には行けないけれど、家ではよく笑っている子。
少しずつ外へ出始めた子。
全部、「不登校」という一つの言葉で括ることはできます。
でも、その子の中で起きていることは、それぞれ違います。
「何をするか」の前に、「何が起きているか」を見る
不登校になると、どうしても
「何をすればいいか」
を考えたくなります。
でも、その前に見たいものがあります。
今、その子に何が起きているのか。
親は今、何を急がなくていいのか。
何ができなくなっていて、逆に何ならできているのか。
どんな時に少し表情が緩むのか。
以前と比べて、小さくても何か変化はないか。
たとえば、
「学校に行けないのにゲームはできる」
という状態だけを見れば、
「好きなことだけやっている」
と見えるかもしれません。
でも別の見方をすれば、
ゲームをしている時間だけは、不安や緊張から少し離れられている
のかもしれない。
「学校の話をすると黙る」
という状態も、
「話す気がない」
のではなく、
本人の中でもまだ整理できず、言葉にできない
のかもしれない。
見方が変わると、大人の次の一手も変わります。
親が正解を知らなくても、大丈夫なことはある
不登校になったとき、
親がすべてを理解している必要はありません。
専門家のような知識を持つ必要もありません。
そして、毎回正しい声かけができなくてもいい。
ただ、
目の前の子どもを、一つの正解に当てはめないこと。
それは、とても大事だと思っています。
昨日と今日でも状態は変わります。
一か月前にはできなかったことが、今日はできるかもしれない。
逆に、昨日までできていたことが、急にできなくなることもあります。
だから不登校は、
「これをやれば解決する」
という一本道ではありません。
その時々で、
今はどんな時期なのか。
この子に今、必要なのは何なのか。
を見直していく。
その積み重ねなんだと思います。
僕が「365の見方」を書いている理由
僕は、不登校について発信するとき、
「これが正解です」
とは、なるべく言わないようにしています。
むしろ、
「こんな見方もあります」
を増やしたい。
親が一つの正解に追い詰められず、
「あ、そういう見方もあるのか」
と思えるだけで、少し楽になることがあります。
親の見え方が変わると、
子どもへの声のかけ方が変わることもあります。
待てるようになることもあります。
逆に、
「ここは待たずに動こう」
と気づけることもあります。
僕が届けたいのは、正解そのものではありません。
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うっし〜(牛木克彦)
不登校支援16年以上/650家庭以上
フリースクール・通信制高校サポート・自然体験・AI教育などを通して、子どもが自分の人生を自分で選べるための支援と教育に取り組んでいます。
