『少しやってみようかな』と思えるまで。

そばで見ていた僕が、卒業生の文章を読んで思ったこと

9月いっぱいで、〇〇がっこうを卒業した子がいます。

これまで関わってきた子です。

で、卒業するタイミングで、

「〇〇がっこうで過ごした時間を、少し振り返って書いてみてくれない?」

ってお願いをしました。

それが、届きました。

読んで、

いやぁ……。

嬉しかった。

すごく嬉しかった。

たぶん、文章の中に僕への感謝がいっぱい書いてあったから、とか、そういうことじゃないんです。

むしろ、全然そういう文章じゃない。

最初から〇〇がっこうが自分に合っていた、とも書いてない。

通い始めて、すぐに何かが大きく変わった、とも書いていない。

そのあたりがね、

僕は逆に、すごく嬉しかった。

あぁ、ちゃんと自分の言葉で書いてくれたんだなぁ、と思ったんです。


その子は、〇〇がっこうに来る前の自分について、

学校に行くこと自体がしんどかった。

朝起きた時点で、

「今日は行きたくない」

と思うことも多かった。

でも、

何かはっきりした理由があったわけではない。

自分でも、

「なんでこんなに行きたくないんだろう」

と思うことがあった。

そんなふうに書いていました。

これね。

不登校の子どもたちと関わっていると、本当によくあります。

「何が嫌なの?」

「何かあったの?」

「先生?」

「友達?」

「勉強?」

大人は、どうしても理由を探します。

理由が分かれば、解決できる気がするから。

でも、本人にも分からないことがある。

というか、

本人にも分からないことの方が、あるんじゃないかなと思うこともあります。

ただ、しんどい。

ただ、行けない。

ただ、朝になると身体が重い。

それを、

「理由を説明して」

と言われても、できない。

できない自分を、また責める。

そんな子を、僕は何人も見てきました。

だから、この最初の文章を読んだ時、

あぁ、そうだったなぁ。

と思いました。


そして、〇〇がっこうに通い始めてからのこと。

ここもね、

ものすごく正直でした。

「最初からここなら大丈夫と思ったわけではない」

「最初のころは、そこまで大きな変化を感じていなかった」

って。

これも、いいなぁと思ったんです。

いや、支援する側としては、

「〇〇がっこうに来たらすぐ笑顔になりました!」

とか、

「来てすぐ自信を取り戻しました!」

とか書いてくれた方が、宣伝としてはいいのかもしれません(笑)

でも、そんなに簡単じゃない。

実際、そんなに簡単じゃないんです。

子どもって。

人って。

学校でしんどい思いをして、

人との関係で疲れて、

自信がなくなって、

自分が何をしたいのかもよく分からなくなっている子が、

場所を変えた翌日から、

はい、元気になりました。

なんて、そんなことはなかなかない。

何も変わっていないように見える時間がある。

本当にある。

こっちが、

「これでいいのかな」

と思うこともある。

本人も、

「別に何も変わってない」

って思ってるかもしれない。

でも、

その「何も起きていないように見える時間」の中で、

少しずつ、

少しずつ、

安心できるものが増えていく。

自分のペースでいてもいいんだ、

やりたくない時は、やらなくてもいいんだ、

今の自分のままでも、ここにはいていいんだ、

そういうものが、

言葉じゃなくて、

体験として積み重なっていく。

たぶんね。

その時間って、すごく大事なんです。


この子は、

人と話すことが苦手だった、と書いていました。

僕と話すことも、

他の子と話すことも。

そして、

自分の気持ちを言葉にして伝えることも難しかった。

これも、よく覚えています。

会話って、

ただ「話す」だけじゃないんですよね。

自分の中にあるものを一回つかまえて、

それを言葉にして、

相手に渡す。

これ、結構難しい。

特に、

自分の気持ちがよく分からなかったり、

言っても分かってもらえない経験が積み重なっていたりすると、

話すこと自体がしんどくなる。

だから僕も、

無理に話させようとはしませんでした。

というか、

話したくなければ、別に話さなくていい。

そんな感じでした。

関わりを重ねる中で、

ポツポツ話すようになる。

ある日、少し長く話す。

またしばらく話さない。

で、ある日また話す。

そんなことの繰り返し。

だから、

この文章の中に、

「前より人と話せるようになったと思う」

と書いてあった時、

そうか。

本人も、そう感じてるんだ。

って。

それが嬉しかった。

こちら側から見て、

「話せるようになったよね」

と思うのと、

本人が、

「前より話せるようになった」

と思うのは、全然違うから。


そしてね。

この文章の中で、

僕が一番、

あぁぁぁぁ……

と思ったところがあります。

それが、

昔だったら避けていたようなことでも、

「少しやってみようかな」

と思えることが増えた。

というところ。

これです。

僕が、〇〇がっこうでやりたかったことって。

たぶん、これなんです。

何かができるようになることも大事。

勉強も大事。

人と話せるようになるのも大事。

進学することも、

仕事につくことも、

もちろん大事。

でも、

その前に、

「ちょっとやってみようかな」

って思えること。

僕は、すごく大事だと思っています。

不登校になる頃って、

「やってみよう」

より、

「やめておこう」

が増えていることが多い。

失敗したくない。

できなかったら嫌だ。

笑われたら嫌だ。

どうせ自分にはできない。

だから、やらない。

その方が安全だから。

でも、

時間がかかっても、

「ちょっとならやってみようかな」

が出てきたら、

そこから先って、結構広がるんです。


〇〇がっこうでは、

火をつけてBBQをしたり、

マシュマロチャレンジをしたり、

ジャグリングをしたり、

ボルダリングをしたり、

いろんなことをやってきました。

別に、

BBQが上手になってほしいわけじゃない(笑)

ジャグリングができるようになってほしいわけでもない。

火を一発でつけられるようになってほしいわけでもない。

できなくてもいい。

失敗してもいい。

途中でやめてもいい。

でも、

「あ、もう一回やってみようかな」

とか、

「これ、ちょっと面白いな」

とか、

「できなかったけど、もう一回やってみたい」

とか、

そういうものが出てきたらいいなと思ってやっています。

たぶん僕は、

子どもに「成功体験」を与えたい、というより、

失敗しても、もう一回触ってみる体験を増やしたいんだと思います。

これ、ちょっと違うんですよね。

成功することより、

失敗したあとに、

「もう一回やってみる」

が出てくること。

そっちの方が、

人生では大事なんじゃないかなと思っています。


この子は、

〇〇がっこうで過ごす中で、

「何かを最後までやろうとする力」

と、

「苦手なことでも少しずつやってみようとする力」

が身についたと思う、

と書いていました。

これもね。

本人がそう書いたことが嬉しい。

だって、

そういうものって、

テストの点数みたいに数字では見えないから。

何点上がった、とか。

何級を取った、とか。

何校に合格した、とか。

そういうものは分かりやすい。

でも、

「前だったら避けていたけど、やってみようと思えた」

とか、

「途中で投げ出していたけど、最後までやってみた」

とか、

そういう変化って、

なかなか見えない。

でも、

僕は、

こっちの方がずっと大事なこともあると思っています。

というか、

長い人生で考えたら、

かなり大事。


そして最後の方。

今、学校に行くことがしんどい人に向けて、

この子は、

「無理に急いで変わろうとしなくてもいい」

と書いていました。

「自分のペースで、少しずつ進んでいけばいい」

と。

さらに、

「自分に合わない場所で無理を続けるだけではなく、自分に合う場所を見つけてほしい」

とも書いていました。

これ読んで、

また、

あぁぁぁ……

でした(笑)

〇〇がっこうに来たころ。

学校に行くことがしんどくて、

自分でも理由がよく分からなくて、

人と話すことも、

自分の気持ちを伝えることも難しかった子が、

今、

同じようにしんどい思いをしている誰かに、

「急がなくていいよ」

って言っている。

「自分のペースでいいよ」

って。

「自分に合う場所を見つけていいんだよ」

って。

これ、

僕が言うのとは、全然違う。

支援者が言うのと、

その時間を実際に通ってきた本人が言うのでは、

重さが違う。

だから、

この文章は、

僕が下手に解説しすぎない方がいいな、

とも思いました。

本人の言葉のままで、

ちゃんと残しておきたい。


僕は、不登校の子どもたちと関わる中で、

「いつ変わりますか?」

と聞かれることがあります。

親御さんからすれば、

当然だと思います。

このままで大丈夫なのか。

いつまで待てばいいのか。

学校はどうするのか。

勉強はどうするのか。

高校は。

大学は。

仕事は。

将来は。

心配になります。

僕も、

簡単に、

「大丈夫ですよ」

とは言えません。

未来のことなんて分からないから。

でも、

ひとつ言えるとしたら、

今の状態だけを見て、

その子の未来を決めないでほしい。

今、

話せないからといって、

ずっと話せないとは限らない。

今、

何もやりたくないからといって、

ずっと何もやらないとは限らない。

今、

自信がないからといって、

そのままとは限らない。

ただ、

変わる速度は、

大人が思っているよりずっとゆっくりかもしれない。

それだけです。

1ヶ月じゃないかもしれない。

半年じゃないかもしれない。

1年じゃないかもしれない。

でも、

その時間を、

「何もしていない時間」

にしなくていい。

安心したり、

休んだり、

好きなものに触れたり、

失敗したり、

人と少し話したり、

今日はやめたり、

また明日やってみたり。

そういうもの全部が、

その子の中に残っていく。

今回の文章を読んで、

あらためて、

そんなことを思いました。


振り返ってみると、

一気に変わった瞬間なんて、

たぶんなかった。

少しずつ。

本当に少しずつ。

だからこそ、

本人の文章の中にあった、

「少しやってみようかな」

という言葉が、

僕にはすごく嬉しかった。

これから、

もっと人と話せるようになりたい。

自分が本当に好きだと思えるものを見つけたい。

それを将来の仕事にもつなげていきたい。

そんなことも書いてありました。

いいじゃん。

全部決まってなくていい。

まだ分からなくていい。

というか、

たぶん、

ここからなんだと思います。

これまで、

ありがとう。

そして、

卒業、おめでとう。

これからだね。

本当に。

これからだ。

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