——僕の教育観ができるまで
僕は、不登校の子どものお母さん、お父さんに、
「大丈夫ですよ」
と言うことがあります。
もちろん、未来が見えているわけではありません。
学校に戻れる、と約束しているわけでもない。
成績が上がる、と言っているわけでもない。
何もしなくても、そのうち何とかなるよ、という意味でもありません。
そうじゃなくて。
今、目の前に見えているこの子の姿だけで、この子の未来は決まらない。
その意味で、
「大丈夫ですよ」
と伝えています。
先日、5年間一緒に過ごしてきた一人の子が、自分で「卒業」を決めました。
そして、その子のお母さんから一通の文章をいただきました。
そこには、5年前、初めて僕に相談したときのことが書かれていました。
僕が言った、
「お母さん、大丈夫ですよ」
という言葉。
お母さんは、その言葉が、
「一筋の希望の光でした」
と書いてくれていました。
……正直、僕はそのとき、自分がその言葉を言ったことを覚えていませんでした。
たぶん僕にとっては、特別に用意した言葉ではなかったんだと思います。
でも、お母さんにとっては違った。
その頃、お母さんは、
「これからこの子はどうなってしまうんだろう」
という不安の中にいたそうです。
学校にも相談した。
公的な相談機関にも行った。
いろいろ探した。
それでも「ここだ」と思える場所になかなか出会えなかった。
そんなときに僕が言った、
「大丈夫ですよ」。
その一言を、5年間ずっと覚えていてくれた。
その文章を読んでいて、
僕はふと、
なんで僕は「大丈夫ですよ」と言えるんだろう?
と思ったんです。
考えてみると、その理由は、不登校支援を始めてから身につけた知識だけではありませんでした。
もっと前。
僕自身が子どもだった頃から、
たぶん、ずっとつながっていました。
「勉強した方がいい」なんて、僕だって分かっていた
僕の母は看護師でした。
忙しい人でした。
だから、小学生の頃に母親が横について宿題を見てくれた、という記憶が、僕にはほとんどありません。
その代わり、
「勉強しなさい!」
と言われた記憶も、ほとんどないんです。
小学校、中学校くらいまでは通知表も見せていたと思います。
でも高校になると、ほとんど見せなくなりました。
ものすごく成績が悪かったから?
うーん。
それもちょっと違う。
たぶん、
自分が思っている自分より、成績が悪かった。
だから見せたくなかったんだと思います。
でも母は、
「通知表を見せなさい」
とは言いませんでした。
当時は何とも思っていませんでした。
でも今になって考えると、母自身にも似たような経験があったんですよね。
母は小学校、中学校ではかなり勉強ができたらしいんです。
ところが高校に入って、成績がガクッと落ちた。
そこから、
「自分で生きていける仕事を持とう」
と考えて、看護師になった。
だから、僕が通知表を見せなくなったとき、
何か感じていたのかもしれません。
もちろん、分かりません。
今となっては僕の想像です。
でも、
「見せなさい」
とは言わなかった。
そこは今になって、結構大きかったなと思います。
ただ、母も、
「好きにすればいい」
と思っていたわけではなかったんでしょうね。
高校一年生の頃、家庭教師をつけてくれました。
英語と数学だったと思います。
僕も最初はやりました。
「やった方がいい」
とは思っていたから。
でも。
続かなかった。
そのうち、家庭教師の先生が来る時間に、わざと家にいなかったことまであります。
逃げました(笑)。
今考えたら、本当に申し訳ない。
進研ゼミも取ってもらっていました。
教材は届く。
ちゃんと届く。
でも、やらない(笑)。
母親からしたら、
「じゃあ、何だったらやるのよ!」
ですよね。
でもね。
僕だって、
勉強した方がいいことくらい、分かっていたんです。
分かっていた。
成績だって上げたかったと思います。
でも、やらなかった。
いや。
今になって考えると、
「やらなかった」
だけなのかな。
やり方が分からなかった。
続け方が分からなかった。
自分に合う方法も分からなかった。
そっちの方が近かったのかもしれません。
家庭教師をつけてもらっても。
教材を買ってもらっても。
「勉強した方がいいよ」と言われても。
それだけでは、人は動かないことがある。
だから今、子どもに、
「勉強した方がいいよ」
と言えば勉強する、とは僕には思えないんです。
だって、
僕がしなかったから(笑)。
「やった方がいい」と分かっていることと、
「自分がやってみよう」と思えることは、
似ているようで、全然違います。
今振り返ると、
もしあの頃、
勉強をさせる人ではなく、
「どこで困ってる?」
「どうしたらできそう?」
と、一緒に考えてくれる人が身近にいたら。
もしかしたら、少し違っていたのかな、とも思います。
だから僕は、子どもが動かないとき、
すぐに、
「やる気がない」
とは考えません。
この子は、どこで止まっているんだろう。
何だったらできるんだろう。
何があれば、
「少しやってみようかな」
になるんだろう。
そっちを考えます。
本人のタイミングを待つ。
でも、
ただ待っているわけではない。
そのタイミングが来たときに、
「じゃあ、一緒にやってみようか」
と言える距離にはいたい。
これはたぶん、僕自身の経験から来ています。
教室の外で覚えたことも、ものすごく多かった
僕は子どもの頃、ボーイスカウトをやっていました。
キャンプをしたり、
野外で活動したり、
いわゆるサバイバル的なこともたくさん経験しました。
楽しかったです。
……と、きれいに書きたいところなんですが(笑)。
全部が楽しかったわけではありません。
嫌だったこともあります。
しんどかったこともある。
実は一度、キャンプに行くのが嫌になって、
目的地まで行かず、近くの公園で野宿したことがあります。
親は知りません(笑)。
でも不思議なんですよ。
楽しかったことも覚えている。
失敗したことも。
嫌だったことも。
逃げたことも。
自分で何とかしたことも。
ずっと残っている。
そして、そういう経験が、その後の僕を結構つくっているんです。
だから僕は今でも、子どもたちと外に出ます。
海にも行く。
キャンプもする。
火も使う。
料理もする。
遊ぶ。
失敗もする。
「自然体験には教育的効果があります」
と本に書いてあったからやっているわけじゃないんです。
もちろん、後からそういうことも勉強しました。
でも、その前に、
僕自身が、体験によって育てられた。
それが大きい。
机に向かっている時間だけが学びではありません。
遊んでいるときも。
失敗したときも。
誰かと揉めたときも。
逃げたときでさえ。
そこから何かを持ち帰ることがあります。
だから僕は、
「いつでも どこでも 誰からでも 何からでも まなぶ」
と言っています。
これ、きれいなキャッチコピーを作ろうとして考えた言葉ではありません。
今になって振り返ると、
僕自身が、そうやって育ってきたんですよね。
海の中では、言葉だけを見ていたら人を守れない
沖縄に来て、大学一年生のときにダイビングと出会いました。
そこから約30年間、ダイビングインストラクターをしました。
これも、今の僕の子どもの見方に、かなり影響しています。
海の中では、普通に話せません。
基本的にはハンドシグナルなどでコミュニケーションを取ります。
だから、
人を見る。
ものすごく見ます。
目。
表情。
呼吸。
身体の動き。
泳ぎ方。
ほんの少しの変化を見て、
「あれ?」
と思う。
怖がっているのかな。
呼吸が速いな。
疲れている?
何か変だな。
水中では、その小さな違和感を見逃すことが、場合によっては命に関わります。
そんなことを30年やってきました。
だからなのか。
今、子どもと接していても、僕は言葉だけを見ていません。
「大丈夫」
と言っている。
でも、本当に大丈夫かな。
今日はいつもより話さないな。
いつもなら食いつく話なのに、今日は反応しないな。
何かあったかな。
もちろん、
外します(笑)。
僕は超能力者じゃないので。
だから決めつけません。
「この子は絶対こう思っている」
とは考えない。
ただ、
もしかしたら、何かあるのかもしれない。
その可能性は残しておく。
言葉になっていないものにも、目を向ける。
これも、たぶん僕は海で覚えたんだと思います。
大学生たちから、「教えない」ことを教えてもらった
ダイビングインストラクターをしながら、23年間、大学生のダイビングサークルの顧問もしました。
ここでも、僕はずいぶん失敗しました。
最初は、僕が教えていました。
これはこうする。
次はこれ。
危ないからこうしなさい。
もちろん、命に関わる活動ですから、教えなければならないことはあります。
でも、あるとき気づいた。
僕が全部教えていたら、僕がいないと何もできないじゃん。
海では、マニュアルに書いていないことが普通に起きます。
そんなとき、
「うっし〜、どうしたらいいですか?」
では間に合わない。
自分で見る。
考える。
決める。
動く。
それが必要になります。
だから学生たちに、
「君はどう思う?」
と聞くようになりました。
ところが。
答えが出てこない。
これが僕には、ずっと不思議だったんです。
正解を聞いているんじゃない。
「あなたはどう思う?」
と聞いているだけなのに、
なんで、こんなに答えられないんだろう?
何年も考えました。
そして、あるとき、
「あれ?」
と思った。
学校って、
自分で決めなくても一日が進んでいくよな。
時間割がある。
教科書がある。
やることが決まっている。
宿題も決まっている。
もちろん、それが悪いと言っているわけではありません。
でも、
ずっと大人が答えを渡してきて、
ある日突然、
「さあ、自分で考えてください」
と言われても。
そりゃ、難しいんじゃないか。
そして、もう一つ気づきました。
僕も同じことをしていた。
教えすぎていたんです。
そこから、僕の関わり方を変えました。
すぐに答えを言わない。
「君はどう思う?」
と聞く。
ヒントは出す。
一緒に考える。
でも最後は、本人が考える。
本人が選ぶ。
本人が決める。
すると少しずつ、学生たちは変わっていきました。
自分で考える。
自分で決める。
失敗したら、また考える。
仲間を助ける。
そこで僕自身も、
「教えること」と「学ぶこと」は、同じじゃない。
ということを、学生たちから教えてもらったんだと思います。
そして、不登校の子どもたちと出会った
その後、僕は不登校の子どもたちと関わるようになりました。
もう16年以上になります。
たくさんの子どもたちと、
たくさんのお母さん、お父さんと出会ってきました。
その中で、僕が子どもの頃に経験したこと。
ボーイスカウトで経験したこと。
海で身につけたこと。
大学生たちから教えてもらったこと。
それまでバラバラだったものが、
少しずつ、一つにつながっていきました。
子どもを成績だけで見ない。
学校に行っているかどうかだけで、その子の未来を決めない。
今できないことを見て、
「この子はできない」
と決めない。
無理に動かさない。
でも、放っておかない。
見る。
話す。
一緒に遊ぶ。
体験する。
必要なら勉強もする。
環境を変えてみる。
ヒントを出す。
今ならAIだって使います。
そして、
本人の中に、
「少しやってみようかな」
が生まれたとき。
その小さな変化を見逃さない。
「うん。じゃあ、一緒に考えようか」
と言える距離にいる。
それが、
僕のいう「待つ」です。
5年前の「大丈夫ですよ」
そして今回。
5年間一緒に過ごしてきた子が、
自分で卒業を決めました。
その子自身が、5年間を振り返って、
以前より人と話せるようになった。
苦手なことでも、少しずつ挑戦できるようになった。
そして、
「少しやってみようかな」
と思えるようになった、と書いてくれました。
その文章を読んだだけでも、僕は、
ああ、5年間やってきたことには意味があったんだな、
と思いました。
でもそのあと、
お母さんから届いた文章を読んで、
僕はもう一度、5年前に戻されたような気持ちになりました。
当時、その子は、
「帰りたい、帰りたい」
と言いながら通っていたそうです。
そうだったなあ。
そこから5年です。
大きな何かが、
ある日突然起こったわけではありません。
少しずつ。
本当に少しずつ。
人と関わって。
自分の気持ちを言葉にして。
うまくいかなくて。
またやってみて。
その繰り返しでした。
お母さんは、その5年間について、
「無理に変えようとするのではなく、必要な時には少し手を貸しながら、最後は本人が自分の力で立ち上がっていくのを待ってくれました」
と書いてくれました。
これを読んだとき、
ああ。
僕がやってきたことを、ちゃんと見ていてくれたんだな。
と思いました。
でも、お母さんの文章には、
もう一つ、とても大切なことが書かれていました。
変わったのは、
子どもだけではなかったんです。
お母さん自身も、
「学校は行くもの」
「〇〇しなければならない」
という、それまで持っていた価値観を見直していった。
そして、
「本当に自分はどうしたいんだろう」
「自分は何にワクワクするんだろう」
と、自分自身の人生についても考えるようになった。
最後には、
息子さんが、
「行きたくない」
「行けない」
と自分の意思を伝えてくれたことを、
「今となっては、よかったと思える」
とまで書いてくれました。
これを読んで、
僕は少し胸がいっぱいになりました。
だって。
5年前、
「この子はこれからどうなってしまうんだろう」
と思っていたお母さんが、
5年後には、
不登校という出来事そのものを、
自分たち親子の人生を考え直すきっかけだった、
と言っているんです。
これって、
僕がずっと言ってきた、
「不登校おめでとう!」
にも、つながっているんですよね。
もちろん、
不登校になったこと自体を、
単純に「よかったね」と言っているわけではありません。
苦しいです。
本人も。
家族も。
できるなら経験したくなかったことだって、たくさんあると思います。
でも、
その出来事を、
ただ「元に戻すべき問題」にしてしまわない。
そこから、
この子はどう学ぶんだろう。
どう生きたいんだろう。
親である自分は、
本当はどう生きたいんだろう。
そんなことを考え直す入口になることがあります。
だから僕は、
不登校を、
その子の人生の失敗だとは思っていません。
「大丈夫」の意味
5年前。
僕はこのお母さんに、
「お母さん、大丈夫ですよ」
と言いました。
未来が見えていたわけではありません。
5年後に、この子がどうなっているかなんて、
もちろん分かりませんでした。
でも、
一つだけ。
たぶん僕は、
ずっと信じていたんだと思います。
今、目の前に見えている姿が、この子のすべてではない。
今できないから、
ずっとできないわけではない。
今動けないから、
この先も動けないわけではない。
今学校に行けないから、
人生が止まってしまうわけでもない。
だから、
「大丈夫ですよ」。
ただし。
「何もしなくても大丈夫」
ではありません。
本人を見る。
言葉を聞く。
言葉になっていないものにも目を向ける。
いろいろな人や、場所や、体験と出会えるようにする。
必要なときには手を貸す。
でも、
その子の人生を、大人が代わりに歩かない。
そして本人の中に、
「少しやってみようかな」
が生まれるのを待つ。
信じて待つ。
でも、ひとりにはしない。
たぶん、
これが僕のいう、
「大丈夫ですよ」
なんだと思います。
僕自身も、
勉強から逃げました。
キャンプから逃げたこともあります(笑)。
人に教えすぎて失敗もしました。
海の中で、人を見ることを覚えました。
大学生たちと一緒に、
「人が学ぶって、どういうことなんだろう?」
と考えてきました。
そして、不登校の子どもたちと出会って、
今も、
「これでいいのかな?」
と考え続けています。
たぶん、
これからも考え続けるんだと思います。
でも、
一つだけ変わらないものがあります。
今の姿で、その子の未来を決めない。
子どもには、
その子の時間があります。
その子なりの学び方があります。
その子なりの人生があります。
大人にできるのは、
それを先回りして決めることではなく、
その子が自分で歩き始めるための場所をつくること。
そして、
手を伸ばしてきたときに、
届くところにいること。
僕は、そんな大人でありたいと思っています。
そして、そんな場所をつくり続けたいと思っています。
いつでも
どこでも
誰からでも
何からでも
まなぶ。
5年前に言った、
「お母さん、大丈夫ですよ」
という言葉。
今日届いたお母さんの文章を読んで、
その言葉の意味を、
僕自身がもう一度教えてもらったような気がしています。
5年間を歩いた、本人とお母さんの言葉
この文章を書くきっかけになった、5年間を一緒に過ごした本人とお母さんの振り返りがあります。
僕が説明するのではなく、本人が何を感じていたのか。お母さんには、この5年間がどう見えていたのか。
二人自身の言葉で残しています。
もし今、
お子さんのことで先が見えなくなっているなら。
すぐに答えを出さなくても大丈夫です。
まずは、
今のお子さんのことを聞かせてください。